春日神社の船絵馬
この地方では「船を持つと家が倒れる」という伝えがあります。
名古屋の豪商は難船の不安から海運には手を出さなかったのです。
けれども、尾州茶屋は交易の利を求めて、万里の波濤をこえて
異国へ雄飛しました。
 尾張知多の漁民は、軽船をあやつり熊野沖まで巨大な鯨を追い、
三河高浜、大浜湊には千石船の出入りが絶えなかったそうです。
栄える高浜湊
天保14年(1843)、高浜春日神社奉納の大額絵馬。
神船とともに描かれた18隻は江戸通いの廻船。積み荷の多くは尾張・三河の酒。
活気がみなぎります。
絵馬の一部分
                横浜付近
 
18艘の船


1、御神船 2、栄(?)吉丸
3、 4、
5、?吉丸 6、
7、松栄丸 8、傷んでいます。
9、福寿丸 10、信吉丸
11、?福丸 12、幸久丸
13、?子丸 14、富吉丸
15、?江丸 16、
17、律栄丸 18、富栄丸




広報たかはま平成16年1月15日号(NO971)より
 文化財ノート   「鬼みち」のこと・・・9
絵馬『高浜湊図』
 春日神社の拝殿の中をのぞくと、右側に大きな絵馬(縦142cm、横212cm)をみることができます。
 この絵馬は、天保14年(1843)に17人の船主によって奉納されたもので、奉納者の船名を記した船が描かれています。
 絵の内容は、当時の高浜村の姿が鳥瞰図(高い所から見おろした図)で描かれ、東からは太陽が昇り、春日大明神・八剱宮・縣大明神・秋葉大権現・宝殿社なども描かれ、海辺では地引網を引いているところが見受けられます。また、対岸の知多半島を行き来する渡し舟でしょうか、小さな船の出入りも細かく描かれています。
 この絵馬は江戸時代における高浜村の海辺のにぎわいを物語る貴重な資料といえます。



 
 
 
 
 
 
 
 
 
 




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